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崇徳 山田まりや 崇徳天皇 呪い【怖い話】



08年2月14日に俳優・草野とおると結婚した山田まりやが、
待望の長男を女優の川島なお美ら13人が立ち会った中で出産し、
とうとう名前を発表した。


山田は「ベビ男くんの名前発表します」と題し、
24日夜に更新した公式ブログで
“崇徳”と書いて“ムネノリ”と読みます これからは愛称“ムネちゃん”で宜しくお願い致します」と公表。


その名前が公表され、
知る人ぞ知る" 日本三大怨霊"の一人、崇徳天皇と同じ名前をなぜ?!
と思った方も多く、物議を醸しています。

私は歴史に詳しくないので知らなかったのですが、
この崇徳天皇・・
調べれば調べるほどに
本当に恐ろしい方です

私なら絶対に絶対に子どもにこの名前はつけません・・


その崇徳天皇の怖い話(しかも実話ーーーー(;Д;)!!)を
分かりやすくまとめてみましたので
どうぞご覧下さい・・(;Д;)




崇徳天皇は、
5歳で白河上皇により即位しましたが、父親の鳥羽天皇には
叔父子」と呼ばれ、疎まれていました。
なんでも、白河上皇との間にできた子供だったらしいのです。
(現代風に言うと鳥羽天皇の妻が、鳥羽天皇の叔父と不倫・・という。。昼ドラ展開ですね。)

まぁもしかしたら
権力の強かった白河上皇が無理矢理
甥っ子(鳥羽天皇)の嫁を手込めにしたのかもしれないですね。
昔はよくあった事らしいので。
(恐ろしい時代....)


そして鳥羽天皇は崇徳天皇を、父子関係にありながらあからさまに疎んじました。
我が子ではないと言えど、
子ども側の気持ちからすると
父親に疎まれる事は辛く悲しかったでしょう。。

本当の父親と囁かれている白河上皇の死後、
父親の疎みはパワーアップ。
というか
白河上皇が死んで、もう気がねすることなく崇徳天皇に当たれる訳です。

そこでなんと、崇徳天皇は23歳の若さで譲位させられました。
しかも、我が子を天皇にすることもできなかった。

天皇になったのは、鳥羽上皇の子・近衛天皇。
しかし体が弱かった近衛天皇が早くに亡くなり、
崇徳天皇は今度こそ自分の子が天皇になれる!と思ったのもつかの間、
今度は自分の弟にあたる、
鳥羽上皇の子・後白河天皇が天皇となる。

この度重なる仕打ちにより、
不満分子とともに崇徳天皇は保元の乱を起こしたんですが、
結果は負けて、讃岐の地に流刑

崇徳は、この乱で亡くなった人たちの為に
五部大乗経を写経し、都に収めてくださいと朝廷に差し出したそうです。
それに対し、
後白河天皇は「天皇家に呪いをかけているな」と拒否、突っ返した(;o;)!!

もう血も涙もありません。


崇徳は悲しみと怒りのあまり、以後、
髪も伸ばし放題、爪も伸び放題にし、青白く衰弱していきました。

そして舌先を噛み切って、その血で経の裏に呪いの言葉を書き、海に沈めた…っていうんですね。

この呪いの言葉が、
皇を取って民となし、民を皇となす」。
つまり、
天皇家に生まれた以外の者(民)が天皇家に変わって皇となる。
自分の血で天皇家の血を滅ぼしてやる、ということを書いたんです。

生まれながらに血に翻弄された人生でしたので、
こう思う気持ちも分かります・・
どんなにこの悔しみと憎しみが強かっただろうか。

それがよく分かるエピソードが近代にあります。

明治天皇が、
「陛下の霊には京都へお帰りいただくべきで、その為に神社も建立いたしました。
長年のお怒りをお鎮めになって、京都にお帰りいただきたい。
そして官軍に刃向かう賊徒を鎮定し、天下が安穏になるようお助けください」。
を崇徳天皇に向かって読み上げてるんです。

明治ですよ、明治!
崇徳天皇が亡くなってから7百年。
なんと7百年間も崇徳天皇の怨霊は恐れら続けたんです。

なぜなら

崇徳の死後、
立て続けに後白河天皇の息子が病死、息子の奥さんが病死、
更には孫までもが病死(;Д;)
都中に疫病が大流行し、更に都は大火災に合い天皇の御所すらも焼け落ちる。

もうブルブル震えが止まりません。((Д`∥)

そして
崇徳天皇の亡くなった28年後に、
平家が滅び、一族もろとも海に沈みました。

そして鎌倉幕府の武家の政治が始まる。
武家、すなわち「民」が日本を支配するという、
崇徳天皇の呪いが死後30年も経たないうちに実現してしまったわけです。

天皇家も、民衆も「これは祟り」と確信。
私も確信です。



そもそもが"不貞の子"というところから始まった崇徳さん。

本題に戻りますが、
そんな名前を我が子に付けた山田まりやさんの意図は
どのようなものだったんでしょう?

かなり話題になっているので、
名付けの由来がブログに書かれるかもしれませんね。

その際は続報としてup致します!^^






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コメント 1

にゃ

今頃、崇徳という名前について調べていて、たどり着きました。
「叔父子」という言葉の解釈が違ってらっしゃるようです。
崇徳天皇が「叔父子」といわれたのは、叔父さんの子という意味ではありません。
鳥羽天皇にとって、白河天皇は叔父ではなく、祖父にあたるのです。

崇徳天皇は、鳥羽天皇の子ではなく、鳥羽の祖父の白河天皇が鳥羽天皇の中宮に産ませた子であると思われていたようです。
つまり、「叔父子」の呼び名は崇徳天皇は鳥羽天皇から見て、子でありながら、実は祖父の子ども=叔父にあたるということからきています。
白河天皇の子ならば、鳥羽天皇の父、堀川天皇の弟になるため、鳥羽天皇から見て「叔父」でありながら、名目上は、「子」。
よって、「叔父」「子」

あくまで鳥羽天皇から見た呼び名です。
by にゃ (2013-04-28 01:39) 

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